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センター試験の問題

国語で載ってた長文が興味ある内容でした。




ヨーロッパ式の庭園は、左右対称で幾何学的図形をなしている花壇や、やはり幾何学的図形を石組で作り出し中央に噴水を出した泉水や丸く刈り込んだ樹木や大理石その他の彫刻を置いた、良く手入れされた芝生など、人間の造型意志をはっきり示している所に特色がある。
それは最初に設計した人の手を離れた時に一つの完成に達しているのであって、その後手入れさえ施していればそのまま最初の形を保持していく事が出来ると考えた。
ところが日本では作庭をも含めて、ことに中世期にその理念を確立したもろもろの芸術ーたとえば茶や生花や連歌・俳諧などーにおいては永遠不変の造型を願わないばかりか、一瞬の生命の示現を果たした後は、むしろ消え去る事を志向している。
不変とは、ピンで刺したアゲハ蝶の標本のようにそのまま死を意味する。それに反して変化こそ生なのである。生命が日本の芸術、この場合は日本の庭の根本に存在する標なのだ。
日本の庭は時間と共に変化し、推移する事が生命なのだ。
造型意志が極端に弱いのが日本の芸術である。日本における美の使徒たちにそのような意志が微弱にしか育たなかったのはやはり日本人が堅固な石の家にでなく壊れやすく朽ちやすく燃えやすい木の家に住んでいる事に由来してるのかも知れない。彼等は自分たちの生の証としての造型物を後世に残そうなどとは心掛けなかった。
例えば生花とは造型なのか。一時の美しさを誇ってたちまち花は散るのである。散るからこそ花は美しくそこに生きた花の短い命との一期の出会いを愛惜することが出来る。造型ではなく花の命を惜しむ事が生花の極意である。
あるいはまた、主と客とが一室に対座して一服の茶を喫する事に形を残そうとの願いがいささかでも認められようか。茶室や茶庭や茶碗や茶匙や茶掛などにある造型が認められるとしても、それが茶の湯の目的なのではない。一服の茶を媒介としてそこに美しく凝縮し純化した時間と空間が作り出されたらそれは客にとっても主にとっても何物にも替えがたい最高度の悦楽で、それこそ生涯の目標とするに足る輝かしい命の発露、一期一会の出会いであった。
日本人が古来、人間の生活と自然とを連続したものと受け取り、草木鳥獣虫魚から地水火風に到るあらゆるものと深い「縁」を結ぶ事によって生きるという考え方である。



実際の文章とはちょこっと違います(私なりの解釈で入れ替えた)。
日頃漠然と考えてた事が文章になった!という感じで大変共感しました。

ちなみに国語だけ真剣に解いてみたら99/200点でした(-_-;)
古文漢文ちっともわからずで、古文は正解したのが一問だけ(T_T)
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by panda_77 | 2007-01-22 09:08 | 生活